つづく・・・・と書いておきながら、一時帰国にかまけてしばらくブログも放置しておりました。放置中、訪問してくださったかもしれない貴重な読者の皆様、ありがとうございました。
さて、今回の旅の一番の目的は、祖父の一周忌に出席するためだった。忘れもしない1年前。私の渡米予定前日に祖父が亡くなった。
亡くなるその日の朝、「じいちゃーん」と呼ぶ私に「あー」と返事をし、しっかりと私の手を握ったその手は、もう握り返してくれなかった。89歳の大往生。
私は、すでに仕事も辞めて渡米準備中だったし、朝からずっと祖父が入院する病院にいた。やはり渡米をその翌週に延ばそうと決め、旅行会社に連絡するために一時帰宅したその時に、容態が急変。母からの電話で病院に戻ったときには、もう息を引き取っていた。でも、まだ温かいじいちゃんの手が私の手を握り返すのではないかと思って、何度も何度も「じいちゃん」と呼んでみたけれど、返事はなかった。
脳梗塞で入院してからまる5年間、献身的に看病をし続けた母が最期を看取った。長い闘病生活、「俺はがんばったぞ」と母に訴えるように、目を見開き、母の手を握り締め、力尽きたらしい。
身近な人の死を目の当たりにしたのは初めて。しばらく呆然として、何も考えられなかった。毎日のように通っていた病院は、いつもと何も変わらずに皆があわただしく動いていたけれど、すべて違う風景に見えた。
1年前、しめやかに行われた家族葬では、しばらくご無沙汰していた親戚の皆さんと再会。会話も弾み、時には大笑い。葬儀の途中には何度も号泣。 泣いたり笑ったりの、すごく温かい時間を過ごした。
海の向こうに嫁ぐ前に、こんな風に、親戚にも会わせてくれたじいちゃんにとても感謝したものだ。
あれから1年。喪中ということもあり、ひっそり地味婚し、親戚の方々への報告もきちんとしていなかったので、今回オットを連れて帰国したとうわけである。目の色が違うガイコクジンが突然、お寺に現れたので、親戚一同やや、びびっていた感じもあるけれど、会食になると、「いやいや、よく来たねー」なんて、オットはガンガンビールを飲まされていた。サプライズで、妹や従兄から花束いただいたりも。喪服の集団だというのに、拍手と笑い声で幕を閉じた法要。
まさに仏教的感覚かもしれないけれど、この1年間、私はずっと祖父に見守ってもらっていた気がする。今回、オットと共に仏前できちんと感謝の気持ちを伝えられてよかった。お坊さんの話によると「焼香」は亡くなった人への「手紙」なんだって。あの煙とともに、気持ちが亡くなった人に届くんだとか。
・・こういった仏教イベントに全くなじみがないというのに、黒いネクタイをし、ぎこちなくお焼香をしたり、手を合わせたり、
させられていたオットも、いい経験できた・・・かな?